PLAYLIST for SPRING 3月のプレイリスト
RYO NONAKA presents
ぼくは年々春になると、花粉症がひどいので、春のワクワク感が半減してます!そんな中で暖かいけれどなんか寂しく感じるこの季節に、ぼくが思いついた曲を並べてみました。ふらっと出かけた時にでも聞いてもらえたら嬉しいです。どこのだれがなにをいってるんだ、と自分でも思いますが、よろしくお願いします。
TWIGGY.が単なる美容室とは異なる特徴の1つが、
美容だけではなくカルチャーに根ざしていることです。
音楽、デザイン、ファッション、映画…それらの刺激を受けて
TWIGGY.の“ヘアカルチャー”が生まれていきます。
TWIGGY.が単なる美容室とは異なる特徴の1つが、
美容だけではなくカルチャーに根ざしていることです。
音楽、デザイン、ファッション、映画…それらの刺激を受けて
TWIGGY.の“ヘアカルチャー”が生まれていきます。
ぼくは年々春になると、花粉症がひどいので、春のワクワク感が半減してます!そんな中で暖かいけれどなんか寂しく感じるこの季節に、ぼくが思いついた曲を並べてみました。ふらっと出かけた時にでも聞いてもらえたら嬉しいです。どこのだれがなにをいってるんだ、と自分でも思いますが、よろしくお願いします。
松浦美穂のインスピレーションは多岐にわたるが、その根底には60年代のカルチャーとその当時のポジティブな反骨精神がある。70年代に始まり80年代に至るまで世界中に広がったパンクムーブメント。しかしそれ以前にパンクを生む土壌はあった。それは歴史の積み重ねの中に長い期間、ずっと根を張り続けた反骨精神なのだ。 ■パンクムーブメントの系譜 「個人的には、60’sカルチャーのパンクな側面は、1910~1920年代のダダイズムやシュルレアリスムなどアヴァンギャルドな運動があったからではないかと思います。あらゆる既成概念を破壊したと言われるダダイズム。破壊による無秩序な世界観からまったく新しい表現を生み出したシュルレアリスム。それこそがポジティブなパンク精神と捉えられるし、それ以降のカルチャーにも受け継がれていきます。50~70年代のムーブメントは、のちの80年代のパンクカルチャーにももちろん引き継がれました。マルコム・マクラーレンとともに登場したヴィヴィアン・ウエストウッド。「これ、着るの!?」と思わず言ってしまうような、実用よりも既存の考え方に対抗していくデザイン。まさにパンクなマインドで、若者からミュージシャンまで絶大な支持を得たわけです。目の前のカルチャーは点と点でしか見えないけれど、実は線でつながっている。だから私にとって60’sカルチャーは字面通りの「1960~69年」ではないんです」
松浦美穂のインスピレーションは多岐にわたるが、その根底には60年代のカルチャーとその当時のポジティブな反骨精神がある。50年代後半から70年代への流れは、音楽と密接にあったファッションやヘアスタイルも変化の激しい刺激的な時代だった。当時を代表する人やブランドの中で松浦がインスパイアされたのは何だろうか。 ■ファッション 「60年代初期の各国でまだ戦争の影響が強く残る頃。特にイギリスはヨーロッパ諸国に比べて戦後の復興に立ち遅れ、根強い階級制も残り、社会問題が絶えないなか、世の中は暗いムードでした。でも、その中で重苦しい空気を一新して、世界を輝かせたひとりの女性がいました。アートの感覚に優れ、ファッションやインテリア、コスメなどのビジネスを成功させ、当時パリに押されていたムードを一気にロンドンへ流れを呼び込んだ人物。それがマリー・クヮント(MARY QUANT)でした。ミニスカートやロングブーツ、とびきり短いホットパンツで世界中を驚かせて。安価なジャージ素材や新素材を使用するなど先進的な人でし た。ヘアスタイリストだったヴィダル・サスーンやモデルのツィギーと ともにスウィンギング・ロンドンという新しいストリートカルチャー の旋風を巻き起こしたんです。現在に通じるストリートファッションの 先駆者ですね。 また、60年代半ばにバーバラ・フラニッキが立ち上げたBIBAは、スウィンギング・ロンドンを代表するブランド(SHOP)として一世を風靡しました。アールデコ・プリントやフレア調のグラマラスなファッションで、1920年代を彷彿とさせるオートクチュール的な要素もある。ボヘミアン調やヴィクトリアン調の空気は男性も巻き込んで、リーゼントヘアは前髪(バング)が重めのマッシュルームヘアになったり、ロングヘアになったりと、一見男女の見分けがつかないジェンダーを超えたスタイルの流行が始まりました」
松浦美穂のインスピレーションは多岐にわたるが、その根底には60年代のカルチャーとその当時のポジティブな反骨精神がある。50年代後半から70年代への流れはロッカーズ、モッズ、パンクスと、音楽的にはもちろんファッションにおいても刺激的な時代だった。当時を代表する作品の中でも松浦が強くインスパイアされたものを語る。 ■映画と音楽 「たとえば髪の毛を真っ赤な色に染める時は、その人の中にパンクな精神を感じるから。それはセックス・ピストルズのジョン・ライドンのような赤いスパイキーな色。映画『フィフス・エレメント』のミラ・ジョヴォヴィッチの真っ赤なボブ『ラン・ローラ・ラン』のフランカ・ポテンテの街を疾走する赤髪」『さらば青春の光』は70年代の上映ですが、60年代初期のユースカルチャーを描いた映画です。当時のモッズとロッカーズの対立を青春群像として、理想と現実のギャップに苦悩する姿が生き生きと表現されています。労働者階級の若者たちの暴走や恋愛、失意や希望をファッションや音楽、ダンスパフォーマンスなどで意思表示しています。冒頭に流れ るザ・フーの「My Generation」はじめ、当時の若者の憤りや焦燥感、また未来への渇望を感じさせてくれる選曲です。 60年代のビートルズ、ローリング・ストーンズ。そして70年代のセックス・ピストルズやデヴィッド・ボウイもまたメッセージの強いミュージシャンたちでした。ビートルズは「ロック=労働者階級の低俗な音楽」という常識を覆し、また音楽を通して反戦の意思表示をしました。デヴィッド・ボウイは「性別の垣根を超えて美しくある こと」をみずから体現して見せました。アーティストたちが階級差別やジェンダーなど凝り固まった価値観を一新し、ポジティブな反骨精神で世の中を変えた。これは現在の社会にも必要な姿勢だと思っています」